人生半分きたので半生を振り返るだけ

 ちょっと前に親ガチャって言葉をネット上でよく見た。ネットのことなので話半分に聞いていたけど自分も親になっているので半生を振り返りながら学んできたことを整理する。本当にただの自分の話だけど誰かに刺さったら嬉しい。


幼少期

 兄妹3人、分け隔てなく育ててもらった。兄妹の中でも俺は出来が悪かったけど否定されるようなことはなかったし強制されることもなかった。色々な場所へ連れていってもらった。当時はゲームなんて持ってる家が少なかったのでクワガタやカブトムシを取って遊んでいた。


小学校時代

 ここでも俺の学力は3人の中では悪かった。姉貴が良かった気がするが比べられることもなく楽しく過ごしていた。善悪の区別だけは教えられた。「金の貸し借りはしない」など。今のお金に対する考え方は間違いなくこの時に教えてもらった事が影響している。

 叔父さんがパチンコで勝った時にファミコンを持ってきてくれてもらったのがめちゃ嬉しかった。野球のクソゲーしかなくてそればっかやってた。マリオはなかなか買ってもらえなかった。

 3年くらいの誕生日にラジコンを買ってもらった。散々使い倒したら壊れてしまい、父親の工具を使って分解したのを思い出す。もちろん元には戻せなかった。

 習い事が始まり、自分で決めたことを最後までやりなさいと教えられた。水泳、習字、塾、剣道をやったが剣道しか続けられなかった。強かったわけでもないし大変だったが楽しかったのは覚えている。この時期には多分スーパーファミコンがあってそれで遊びたかった。ロマサガと聖剣伝説で狂ったように遊んでいたのは今でも覚えてる。

 高学年の頃にはプレステがあった。FF7をやったのを覚えてる。


中学時代

 ここらで勉強が好きになる。多分ここが一番兄妹格差がなかった。全教科8割くらいの点数で学年20番前後だったのを覚えている。勉強をそこそこしていたので親にも何も言われなかった。多分していなくても何も言われないが。

 部活も忙しかったが充実していた時期だと思う。多分周りにとても恵まれていた。怖い先輩もいたけど何かされた記憶はない。今でも当時の先輩方は好きだし尊敬してる。

 学年一位の秀才の家でアーマードコアにどハマりしたのを覚えている。彼はいくらゲームをやってもほぼ全教科満点取ってた。頭の中どうなってんだ。ちなみに彼のせいで俺はロボオタになった。


高校時代

 暗黒期で挫折を味わった。2、3年のクズ野郎に虐められた時期があった。部活動の休みもなく逃げ道もなかった。当たりがキツかったのは俺だけに対してじゃなかったのでなんとか耐えられた。あと決めたらやりなさいという教えを守りたかったのもあったと思う。ただ、勉強する心の余裕もなく学力は底まで落ちた。耐えられなかった奴は心の病気になって学校ごと辞めていった。今さら恨んじゃいないがどう考えてもおかしな環境だったと思う。

 高校で受けた傷は今でも残ってると思う。高圧的な人は苦手だし要らない気を遣って冷たいと言われるし。自分の子供達には好きなことや得意なことを続けてくれればと思う。環境も劣悪な環境は変えてやりたい。環境が子供の成長に与える影響は絶大でその為にも経済的な余裕を持たなければと考える事ができたことは感謝。

 3年から勉強に復帰できた。どう考えても始めるのが遅いので一浪してしまったが行きたい大学になんとか滑り込めた。


大学時代

 兄妹で浪人したのは俺だけだったのでここでも迷惑をかけたが何も言わずに応援してくれた。特にお金は迷惑をかけた。ほんと感謝。ちゃんと4年で卒業した。ここでも幸運なことに友達に恵まれた。今でも気楽に連絡取れるし会える時は会いたいと思える。


渡米

 就活前にリーマンショックが起きた。みんな就活に苦労していた。今更だけどこのときに投資始めていたら今もうFIREしてる気がする。俺は単身アメリカへ行き、今の仕事に関わる仕事で一年間過ごした。メキシコ人の不法移民がたくさんいる地域だったので英語は使わず、スペイン語でコミュニケーションを取る必要があった。自分が覚えるしかなかったのでボールペンを持ってわからない単語を聞いたら腕に書き、帰宅後に調べるという生活になった。最初は「耳なし芳一」みたいになったがだんだん減って少しづづできるようになった気がした。

 会社の寮でルームシェア生活していたがある日、同居人が「もう耐えられない」と言って帰国してしまった。二人分の仕事を一人でするようになったのでキツかったのは覚えている。社長はやたらキレる人だったのでめちゃ怒られた。ある程度言葉がわかってくると社長は仕事に対する姿勢が厳しいだけで優しい人だと分かったので自分は耐える事ができた。高校の時の理不尽に耐えた経験も活きたのかもしれない。

 1年という短い期間だったが濃かった。車が爆発したり、砂漠みたいなところのど真ん中でバスが来なくなって途方に暮れたり、一緒に働いてたメキシコ人が急に強制送還されたり、地盤沈下で家の横に大穴が空いたり。と毎日何かしら日本では考えられないようなことが起きていた気がする。

 全然関係ないが、ロスにあるグリフィスパーク天文台の夜景は絶景だった。あの景色は二度と忘れないと思う。


帰国後

 一週間くらいフラフラして地元へ帰り普通に働いた。特筆するようなことはない。30歳で結婚しすぐに子供ができた。当時はアパート暮らしで共働きじゃなくなり、全然お金が貯まらなかったので焦った。実家に空いた離れがあったので600万でリフォームし、そっちに引っ越した。貯金は無くなったが英断だったと思う。その後はまた少しづつ貯金を頑張った。


現在まで

 第二子も産まれ、妻が復帰するまでは1馬力だったのでなかなかお金は貯まらなかった。これでどうやって子供二人と自分たちの老後資金を用意するのかと結構焦ったと思う。なんとかするための色々調べた。幸いYouTubeだったり書籍だったり調べ物には困らなかったので色々試す事ができた。コロナウイルスが流行ってからはマイニングや物販に手を出してみたがなかなか安定した収入とはいかなかった。その後、旧積立NISAを知り、すぐに枠いっぱいまで投資。検討した結果「SBI.V.S&P500インデックス」に投資することにした。コロナ下落からの上昇局面の恩恵を受ける事ができ、それなりに増えた。並行して投資というものはどういうものかを調べ上げ、子供の学費が必要になるまで継続を決意。今でも積み続けている。投資は知るだけでできる。無知は損、無知は罪。ここで俺がした事は調べたことと実際に行動しただけ。

 仕事で事業主になり、すぐに「小規模企業共済」とidecoを始めた。物価の上昇もあり、ここ2年の所得は良かったのでかなり投資に回すことができた。また、25歳くらいの時に実家の事業拡大のために2000万くらいの借金をしていたが完済し、売上が増えたことも後押しした。ここら辺は再現性が全くないので本当にラッキーだったと思う。決断は早くするべきということとコツコツ継続することの大切さを学んだ。


今までの人生で思ったこと

  • 子供の成長には環境が大事
  • そのために愛情はもちろんお金も必要
  • 無慈悲だけど親ガチャはある。子にとって当たりとなれるように頑張りたい
  • 人生に一発逆転はないから継続を大事にする
  • 無知は損で罪
  • 行動する事は大事

多分他にもあるけど振り返ってすぐに思ったのはこのくらいだった。ちょっと最後の方は何言ってるか分かんなくなっちゃったけどうまいこと子供に伝え、自分も何もせずに朽ちていくだけの親にならないように心がけたい。

また、読んでくれた人に少しだけでも影響を与えることができたのなら嬉しい。

ひとこと

というわけでブログやってみようと思います。

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